アーティストトーク「色を重ねる」

 

日時=2009年7月28日18:30-19:30
場所=東北芸術工科大学7階ギャラリーにて
アーティスト=中村桂子(版画家)/エマニュエル・ムホー(建築家・デザイナー)
聞き手=和田菜穂子(本展覧会キュレーター)

●Profile
中村桂子|Keiko Nakamura
芸術学部美術科版画コース准教授。版画家。1966年東京生まれ。1990年東京造形大学造形学部美術学科T類絵画版表現コース卒業、翌年同大学造形学部美術学科研究生修了。1991年第59回日本版画協会展山口源新人賞受賞、2000年五島記念文化賞美術新人賞を受賞し、2002年まで五島記念文化財団の助成により英国に滞在。ロンドン・ウィンブルドン美術大学にて制作活動を行う側ら、「Contemporary Japanese Woodblock Prints」エジンバラ・プリントメーカーズ(エジンバラ、2001年)、「Acts of Renewal : Japanese Art Re-Interpreted」ヴィクトリア&アルバート美術館(ロンドン、2002年)など英国各地でグループ展に出展、日本の水性木版画についてレクチャーやデモンストレーションを行う。日本国内では、ギャラリー219(東京、1993年/1994年/1997年)、シロタ画廊(東京、2000年)、ガレリア・グラフィカ(東京、2004年/2006年/2008年)、ギャラリーポエム(東京、1993年/1994年/1995年/1997年)他各地で個展を開き、意欲的に活動を行っている。主なグループ展に「六女人六色版画展」資生堂ザ・ギンザアートスペース(東京、1992年)、「日本の木版画100年−創作版画から新しい版表現へ−」名古屋市美術館(名古屋、2004年)、「VOCA展 現代美術の展望−新しい平面の作家たち」上野の森美術館(東京、2005年)、「KAMOKU」Lab Gallery(ニューヨーク、2006年)などがある。町田市立国際版画美術館(東京)、沼津市(静岡)、東京オペラシティアートギャラリー(東京)、ドレスデン版画素描館(ドイツ)に作品が収蔵されている。2008年より東北芸術工科大学芸術学部美術科准教授に就任。

エマニュエル・ムホー|Emmanuelle Moureaux
デザイン工学部プロダクトデザイン学科准教授。建築家・デザイナー。1971年フランス生まれ。1995年フランス国家建築家免許取得後、エリック・ラフィ設計事務所に在籍。1996年より東京在住。2003年エマニュエル一級建築士設計事務所設立。日本古来のデザインを現代にも活かしたいという想いから、「色切/shikiri」を生みだす。これは伝統的な間仕切りにヒントを得た色とりどりのパーティションシリーズである。「空間を色で仕切る」というコンセプトで、色を平面ではなく、三次元空間を形作る道具として扱っている。主な作品として、建築ではヘアメイク&ビューティサロンのarp hills(埼玉、2007年)、インテリア・デザインではABCクッキングスタジオ(東京、京都、大阪、福岡など全国82スタジオ完成、2004年より進行中)、フィットネス・スタジオのBodies(東京、京都、大阪、福岡など22スタジオ完成、2006年より進行中)、CSデザインセンター(東京、2007年)、野沢アパートメントのリノベーション(東京、2007年)、美ファイン(東京、2003年)他多数を手掛けている。stick chair(2007年)は、100%デザイン東京2007で発表。その他、オゾンギャラリー、インターナショナルギフトショー、100%デザインロンドン、デザインタイド東京、セントラルイースト東京等にて作品を発表している。2005年デザインタイド「Best Installation Award」、2007年・2008年「BEST STORE OF THE YEAR」優秀賞、2007年香港Perspective誌「40 Under 40」賞、2008年「第15回CSデザイン賞」など多数受賞。2009年emmanuelle moureaux architecture + designに改称。2008年より東北芸術工科大学プロダクトデザイン学科准教授に就任。
http://www.emmanuelle.jp/

注1 柄澤斎(1950−)
栃木県生まれ。創形美術学校版画科卒業。木口版画を日和崎尊夫に師事。譚画集『迷宮の譚』(譚・出口裕弘、シロタ画廊刊、1981)、1985年より木口木版による「肖像シリーズ」を発表。挿画付小説「ロンド」刊(2002)。

注2 マーク・ロスコ
Mark Rothko(1903-1970)
アメリカの抽象表現主義を代表する画家。

 
和田 本日は教員としてではなく、作家としてのふたりに迫りたいと思います。まず中村さんから、簡単な自己紹介をお願いします。
中村 中村桂子です。版画をはじめたのは東京造形大学に入学してからです。今は木版画を中心に金属を腐食したものとドッキングさせたりしています。「版画」というとたくさん刷れるというイメージがありますが、私はそれよりも、紙や木や水などのモノとやり取りすることが好きではじめました。
エマニュエル こんにちは。エマニュエル・ムホーです。私はフランスで建築の勉強をしました。日本にきたのは、13年前です。今はプロダクト学科でスペースデザインを教えています。
和田 中村さんはなぜ版画家の道を歩み始めたのですか?
中村 先ほども申し上げましたが、版画は紙に刷り取って出来上がります。版そのものは<黒子>なんです。3次元(の版)から(紙に刷られた)2次元の作品になっていく、というプロセスに衝撃を受けました。今でもその感動、心の震えは続いています。それが、私が版画をやめない理由でしょう。
3次元の版には、モノの宇宙が存在しているように思います。わたしは宇宙の果てがどこなのかわかりませんが…そして、その世界には「表と裏」があります。
木版画は要らない部分を消失させていきます。消えたものはどこへいってしまうのでしょう?虚構である平面にそれらは記録されます。わたしはいつも胸がきゅんとするのです。彫りながら、刷りながら、なんだか人の一生に似ているな、と思います。時間を経ることによって、ひとの記憶はだんだん薄れていきます。それは歳をとっていく、生物として死んでいく、ということなのでしょう。わたしは木版というプロセスを経て、人の人生を生きているように思います。
和田 私は中村さんに出会うまで、版画家の知り合いがいませんでした。学校での制作現場をみたり、プロセスを伺ったりして、版画は奥が深いんだなぁ、とつくづく思いました。
ところでエマニュエルさんは、なぜ建築家を目指したのですか?
エマニュエル 建築は様々な分野(美術、社会学など)と関わっていくもので、フランスでの建築の勉強は通常7,8年かけて行います。わたしは勉強の内容に惹かれて、この道を選びました。
和田 エマニュエルさんは、実は日本の一級建築士の資格も持っています。日本とフランスでは法規も全く異なります。日本人ですら、一級建築士の資格を取るのはとても大変で、合格率は10%前後です。私はそれを聞いて、「エマさんはすごいな、がんばりやさんだなぁ」と尊敬しました。
エマ 私は本を読むのが好きで、高校の頃から日本の小説や文学を読んでいました。夏目漱石が好きです。当時は日本の情報が少なく、本の中でしかその情報を得ることができませんでした。ずっと興味はあったのですが、卒業制作ではじめて日本と関わりました。1995年のことです。ここで重要なエピソードがありました。成田空港から電車に乗って東京にきたのですが、そのとき車窓からみた風景が印象的で忘れられません。線路沿いに建つ成田市の家並をみて、「水かな」と思ったのです。光っていて、とても美しかったことを覚えています。しかしよく見ると、それは屋根でした。青いスレートの屋根で、雨上がりだったため光って水のように見えたのです。フランスは石に囲まれたグレーな風景で、風景の中にブルーは存在しません。その小さな出来事が自分の中ではとても大きな出来事になりました。一生忘れられない風景です。1週間滞在して、とても居心地がよかったので、東京に移住することに決めました。フランスに戻って卒業後すぐに建築家の免許をとり、その1ヶ月後スーツケース1つで日本にやってきました。それ以来13年、日本に住んでいます。あせらないで、自分のペースで日本に馴染んでいきました。
和田 中村さんもロンドンで暮らした経験がありますが、その時のお話をお聞かせください。
中村 海外経験は2000年から2002年のことでロンドンに住んでいました。五島財団の助成金をもらってのことです。海外に住む気は全くありませんでした。わたしも何も用意をしないまま、ロンドンに旅立ちました。まず住む場所を探すことからスタートです。イギリスを選んだのは、いろんなものが見られるのではないか、と思ったからです。
ウィンブルドンにあった大学で作品を制作するようになり、だんだん英語やイギリスでの生活になじんでいきました。自分がやれることといえば、水彩絵の具で版画を刷ることです。イギリスではその概念は全くなかったので、彼らにとっては驚きだったようです。私はデモンストレーションを行い、そうすることでものの考え方が違うことを知り、どうして違うのかを考える楽しみを覚えていきました。
 
和田 日本を離れると日本の文化を改めて考えるよい機会になると思うのですが、中村さんはどうでしたか?海外の前後で作風に変化などありましたか?
中村 特に作風に変化はないと思います。私の作品は現代的な木版画であるけれど、(普通の)水性の木版画です。紙の保湿が重要です。按配を見ながらやっていく、ファジーな世界です。それが発達してきた日本は独自の文化背景があり、それに適した気候があります。日本は外からの文化を受け入れてきた歴史をもつ国です。それを身体で感じました。
和田 現代版画というのは、具体的にどういうものなのでしょうか?
中村 つまり伝統的でないやり方を指します。私の場合、結果としてそうなっていったわけで、最初から意識したわけではありませんでした。私は掘った版をひっくり返すやり方をしています。<立体と平面>、<現実と虚構>、<3次元と2次元>。それらをいったりきたりして、物質とやり取りするのが面白いと思いました。(わたしの)表現したいことがたまたま木版のやり方にあっていた、それだけのことです。
和田 次にエマニュエルさん。インスタレーションの<色切/shikiri>について、説明していただけますか?
エマ はい。<色切/shikiri>とは造語です。つまり「色で空間を切る」ということを意味します。色は後付けで、空間を作った後で何色にするか決めていきます。わたしにとって、色は2次元ではなく3次元としての道具です。今回はインスタレーションにフェルトを用いました。わたしは東京の街がとても好きです。重要な点は2つあります。ひとつは<色>。東京は色に溢れています。看板などが街のなかにあって、色が入り混じっています。それは美しいと思います。もうひとつは<重ね>。ヨーロッパは建物と建物がくっついていて、横に連続しています。ファサードは(凹凸がなく)、パースペクティブになっています。しかし日本の街は建物の間に隙間があります。それぞれの建物は独立していて、ばらばらです。重なりあって、それがレイヤー(層)になっています。建物だけでなく、電線があって、そのまた奥に別な建物があって・・という風に奥行きを感じます。それが日本の大好きな点です。
わたしは日本に来るまでは色について意識することはありませんでした。日本に来て、色が大好きになりました。そして色で空間をつくろうと思ったのです。今もこの会場では22枚の色を上から吊っています。
和田 サブタイトルは色が重なっていくことを表すため、「色層:呼応する色たち」に決めました。通常、展覧会は2年くらい前から作家と一緒に出品作品を決めていきますが、この展覧会は4月から準備を始めました。わずか3カ月で強引に実現させたのですが、3人とも忙しく、話し合いも大変でしたよね。
エマ 本当に忙しい数カ月でした。最初はお互いのことを全く知りませんでした。他のアーティストとコラボレーションする機会も初めてのことで、最初は会場が対称にできているので半々という話もありましたが、3人で相談して全体を一緒に使うことにしました。結果的にお互いのよいところが出て、よかったと思います。
中村 エマニュエルさんが会場構成、つまり歩く動線を考えてくれました。意外なところに空間があって、想像以上の展覧会構成になったと思います。
和田 「フェルトだけだったら」「中村作品だけだったら」と想像すると、こうはいかなかったでしょう。見え隠れするシークエンスを楽しむことがこの展覧会の醍醐味です。
ところでおふたりは、ふだんはどういう生活をしていますか?
中村 火曜日から金曜日までは山形にいますが、それ以外は横須賀に住んでいます。夜、自分の作品とやり取りをしています。学校でも家でも制作はしています。作家だけでは食べていくことは無理なので、いやなこともしなければいけません。つまらない仕事の積み重ねも作家の仕事のうちと考え、それは農作業と一緒だと思っています。地味な毎日です(笑)。小さなことにもアンテナを張って、大事にしています。いい人に出会うこと。いい人脈はお金を出しても買えない。この仕事を通じて、そう思うようになりました。
エマ 大学には火曜日と水曜日だけ来ています。残りの時間は東京の事務所で、終電まで毎日働いています。日本式ですね(苦笑)。お客さんから依頼を受ける仕事なので、アーティストとは違います。打ち合わせが多くて、1日中ミーティングばかりです。夜遅い時間にデザインを考えます。もしくは土曜日、電話が鳴らなくなってから、とか。建築家は体力的、精神的にもタフでないとできません。
 
和田 それでは会場から質問を伺いたいと思います。作家についてもっと知りたい、例えば過去の作品、その人の人生経験、などが記録されているのがカタログです。しかしこの展覧会では残念ながらカタログはありません。ふたりがどういう人物なのか知りたい人は、これがチャンスですよ。
質問 夏という時期にフェルトは暑苦しく感じましたが、なぜフェルトを選んだのですか?
エマ コンクリート打ちっぱなしの空間は硬いイメージなので、それに対比してやわらかい素材、あたたかいものがいいと思ったからです。フェルトはここ以外でもフィットネススタジオで1年中吊るしています。季節は特に関係ないですね。
和田 実はひとりでこの展覧会会場を歩いていたとき、空調から流れ出る冷気のせいでフェルトがゆらゆら揺れていました。中村作品の揺らぎと相まって本当の意味での「揺らぎの空間」が完成していたといえるでしょう。これは予想外のハプニングでよかったと思います。
中村 面としての強いフェルトでよかったと思います。もしこれがオーガンジーだったら違っていたでしょう。フェルトってやわらかいんだな、という違った印象を持ちました。
和田 不思議なもので、フェルトのやわらかい触感を確かめようと、つい触りたくなってしまいました。「作品に触らないでください」とキャプションをつけましたが、実は触りたくなるのは版画作品よりもフェルトの方でしょう。
ところで中村さんのこと、もしくは版画の世界を知りたい人がいたら、是非この本を読んでください。ミステリー小説「ロンド」(柄澤斎)(注1)です。登場人物のひとりが中村さんだ、という噂もありますが、定かではありません。この本は美術館で殺人事件が起こるもので、主人公は学芸員です。だから学芸員を目指している人も必見です。もちろんフィクションですし、登場人物は中村さんではありませんが…(笑)。
質問 中村先生の作品を見て、抽象表現主義のロスコ(注2)を思い出しました。宗教観と芸術観の組み合わせというか、無宗教の人でも祈る場所のように感じます。中村先生にとっての宗教観は何でしょう?
中村 特に宗教観はありません。版画は装置であり、プロセスであります。もののあり様を測定していくもので、コンセプトが重要です。何か特定のモノをイメージすることもないです。ただ(作品を見て)共鳴した自分と心の奥底で対話をしてもらいたいと思っています。(私の作品が)自分との語らいをする手助けになってほしいと願います。
質問 中村先生の作品に、匂いを感じました。日本酒が好きとお聞きしましたが、辛口のすっとした感じが好きそうな気がします。でも作品をみると甘い感じがします。どんなお酒が好きですか?
中村 ははは…(笑)焼酎は毎日少しですが飲んでいます。山形のお酒はこくがあって、まったりとしていて好きです。(お酒の好みと)作品とは関係ないと思いますよ。
和田 展覧会リーフレットにも書きましたが、五感を使って展覧会を感じてほしいと思います。
質問 エマニュエル先生に質問です。日本人は黒に対して色を感じます。欧米では白と黒についての考え方が違うといいますが、エマニュエル先生はいかがですか?
エマ 黒は基本的に使いません。白は使います。全体の空間の中で、白をベースにデザインを考えます。デザイナーは他人のために仕事をしているので、黒は反対される場合が多く、仕事で黒を使うのは気をつけています。
質問 大切なこと、心がけていることは何ですか?
エマ 自分にうそをつかないことです。いいと思わないことは一切やりません。そして自分のできる限り、スタディをくりかえります。常に「これが一番よいのか」と疑うことを繰り返します。なかなか満足に至ることはありませんが…
中村 まあまあのところで妥協するとその時点で終わってしまいます。ものづくりに妥協はあり得ません。そしてなんでも好奇心をもつこと。今は違うなと思っても、見ておく。考え方の違う人でも、たとえ間違っていると思っても、その人になってみて、「なるほどそうなんだ、自分と違うんだ」と心がけておくこと。そうすると何年後かに「あのときそうだったんだ」と思うことがあるでしょう。自分が絶対ではないのです。それは「未来のための財産、貯金である」と思っています。
和田 最後に人生の先輩として、メッセージをお願いします。
エマ 「努力すること」です。みんな一生懸命だけど、努力が足りないかな?努力すればするほどよくなります。自分の目標を信じて、少しずつ努力すれば、たどり着きます
中村 「自分の信じられること」を大事にしていってほしいです。挫折があっても、長い時間かかっても、それがあれば乗り越えられるでしょう。信じられることをつくってほしい。そして愛情をもってモノや人に接していってほしいです。
和田 ふたりの言葉を胸に刻み、卒業してからも、人としていい人生を歩んでいってほしいと思います。そのきっかけがこのトークにあったなら、それをいつか思い出してほしいです。今日は長時間にわたり、どうもありがとうございました。
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