「土澤木工」と「デザイン事務所ペイジ」、最近その仕事ぶりをあちこちで見聞きするこの二つの事業所は、芸工大の卒業生ご夫婦がそれぞれ経営しています。
木工職人の土澤修次郎(つちざわ?しゅうじろう)さんは、生産デザイン学科(現プロダクトデザイン学科)、デザイナーの土澤 潮(つちざわ?うしお)さんは情報デザイン学科グラフィックデザインコース(現グラフィックデザイン学科)の卒業生。
二人のお仕事がどのように生み出されているのか、上山市の郊外にある土澤木工の展示室に伺って、お話をお聞きしました。
大学で過ごした時間と、東京で過ごした時間
――広くて趣のある工房を見つけましたね
土澤修次郎さん(以下、修次郎と略):ここは仕事をたたんだ大工さんが手放した工場を買い取ったものです。工場物件を探してみると、意外とちょうど良いものがなかったのですが、根気強く探して何とか今の工房と出会えました。
工房が広かったので、一部を仕切って展示室にしました。作業は、大工の友人の手を借りつつ、ほぼDIY。柱の刻みなどは潮にも手伝ってもらいました。壁だけは左官職人をやっている芸工大の卒業生の原田正志(はらだ?まさし)さんに塗ってもらいました。使う場所のイメージができるように、入って右側と奥と天井を和風に、左側と入り口の面を洋風にしています。
土澤 潮(以下、潮と略):この展示室には、土澤木工の家具だけでなく、芸工大卒の友人たちの作品をはじめ、私たちがいいなと思っている色々なものを並べています。この場所が、家具だけでなく、漆器や陶器やガラスの器、テキスタイルやアートを飾ることなどに興味を持ってもらうきっかけになったら嬉しいなと思っています。今後、自分たちの家を建てるなら、こんな感じにできたらいいな。
――お二人それぞれの芸工大への入学の動機と学生時代の話を聞かせてください
潮:私はファッション誌のデザインに興味があって、情報デザイン学科?グラフィックデザインコースに入学しました。卒業までずっとその思いは変わりませんでしたね。学生時代は制作もしていたけど、けっこう遊んでもいました(笑) 他学科にも友人がいたし、学年関係なく、交友関係は広かったと思います。
修次郎:僕の場合は、将来「何かつくる仕事がしたい」と思っていて、確か『BRUTUS』のインテリア特集か家具特集で、デザイナーや職人さんが紹介されていたのを見て、面白そうだなと思ったことがきっかけでした。入学後は、車?家電?インテリア?服飾と、やってみたいことがあり過ぎて、卒業まで絞りきれなかったんですが、結局今は最初に興味があったことに落ち着いてるなと。
――芸工大に入学して良かったと思うことは?
潮:たくさんありますよ。芸工大に入ってなかったらこうはなってなかったです(笑) くだらないことも含めて、友人たちといろんなことを話せたこと、多くの時間を一緒に過ごせたことが、今では何より良かったと思いますね。
修次郎:僕は大学で出会った人たちとのつながりが今でもあって、お客さんになってくれたり、一緒に仕事ができたり。山形に帰ってきて、改めて仲間はありがたいなと。
――就職されてからはいかがでしたか?
潮:私は修次郎より一年早く東京に出て、もともと興味があったファッション誌をデザインする仕事に就くことができました。同じ事務所で9年間、小学館や光文社、その他ファッション系通販誌や料理?育児系のムック本のデザインをしていました。すごく忙しかったけど、夢中になって働きました。
修次郎:僕は東京で店舗の内装を手がける会社に就職しました。そこの木工部門で研修して、改めて木工に目覚めて、わがままを言って木工部門に配置換えしてもらいました。在学中は色々手を出して、卒業制作は布で成型合板みたいなものを作ったりしましたが、僕にはやっぱり木工が合っていたんですね。
木工については、在学中に少し経験しただけだったので、会社には8年いましたが、一人で作らせてもらえるようになったのは、3年目くらいからでした。それも、設計部門で設計されたものをただ作る仕事。自分の作りたいものを作るようになったのは、独立してからです。
東京を離れて手にした、新しい暮らし
――お二人は東京にいる間にご結婚されたんですよね
修次郎:学生時代は意識したことがなかったので、ほぼ上京してから知り合い、その後、東京で開かれた卒業生の集まる芋煮会で意気投合して、って感じですね。
潮:その後、付き合い始めて、2011年に結婚しました。上京してから結婚するまで、目の前の仕事に精一杯の日々で、あまり暮らしのことを気にかけていませんでした。でも、何となくこのまま東京にずっとはいないだろうなと感じていて。それは修次郎も一緒だったようです。
修次郎:僕はそもそも地元で仕事がしたいと思っていたんですが、就職先が東京にしかなかったんです。
勤めた会社での仕事は、合板を使った家具製作でしたが、だんだん無垢の材料で家具を作りたいと思うようになって。ちゃんと学ぼうと一念発起して会社を辞めて、2013年に長野県の木曽にある木工の職業訓練校に入学したんです。
潮:私は当時、常に数誌のデザインを抱えていて、入稿が毎週続く生活で。少しペースを変えたいなと感じていました。だから、修次郎の職業訓練校入学をきっかけに、私も事務所を辞めて長野に引っ越すことを決めました。二人で、これまでとは違う暮らしがしたいねって。
――思い切った決断でしたね。木曽ではどんな生活だったんですか?
潮:築150年、7DK?外トイレ、畑付き、家賃5,000円の古民家暮らしでした(笑) でも楽しかったですよ。私は、事務所を辞めた後もフリーランスとして勤めていた事務所の仕事を続けていて、打ち合わせや撮影の立ち合いで月1回程度上京し、普段は家でデザインの仕事、合間に畑仕事もするという生活でした。
修次郎:僕が学んだ学校は、無垢材の家具製作を専門に一から教えてくれる全国でも数少ない学校でした。僕のように家具で独立したい人が全国から集まるので高倍率でしたが、何とか入学できました。芸工大ではいろいろ手を付けただけで終わってしまいましたが、ここでは1年間集中して学びました。
地域と共に歩み始めた、二人の仕事
――木曽での学びを経て生まれた土澤木工の家具の特徴は?
修次郎:土澤木工の家具は「シンプルで、長く飽きずに、壊れない」ところに重きを置いています。月日が経つほどに魅力が増すのが無垢材の良さなので、素直にそれを感じてもらえるような家具をと考えています。
無垢材を使った土澤木工の家具は、使い込むほど美しくなる。
――山形県上山市を拠点にされたのはなぜですか?
修次郎:僕の実家のある米沢市と潮の実家のある山形市との間で、工房となる物件を探していたのですが、ちょうどいいこの物件があったからです。まず僕が土澤木工を立ち上げました。
潮:山形と宮城のクライアントが多いし、高速道路のICも近くなので東京にも出やすい、いい場所なんです。私は上山でも最初、東京の仕事をメインにしていました。でも、ありがたいことに、山形県工業技術センター主催の「デザ縁」などをきっかけに、山形でも声を掛けていただくことが増えて、それならばと2015年に「デザイン事務所ペイジ」の屋号を付けました。
――お二人の最近の仕事について、代表的なものを紹介してください
潮:2018年にオープンした、山形市山寺のジェラート店「COZAB GELATO(コサブ?ジェラート)」は、高校の同級生夫婦が営むお店で、私がブランディングとアートディレクション、デザインを担当し、芸工大卒の友人や先輩?後輩に声をかけて進めた仕事です。写真は根岸功(ねぎし?いさお)さん、設計は川上 謙(かわかみ?けん)さん、施工は荒 達宏(あら?たつひろ)さん、看板は下山普行(しもやま?よしゆき)さん、什器建具は土澤木工です。最近いろんなメディアで紹介してもらっていて、県内外を問わず、たくさんの方に愛されるお店になってきているのが、とてもうれしいです。
山形市山寺の紅葉川沿いにある「COZAB GELATO(コサブ?ジェラート)」。客足が途切れない人気店だ。(撮影:根岸功)
修次郎:土澤木工では、木で制作できるものであれば、家具以外の注文にもできるだけ応えていきたいと思っています。最近だと、美術科?日本画コースの三瀬夏之介(みせ?なつのすけ)先生から額縁をオーダーしていただきました。
お客さんから「土澤さんらしい家具だね」と言われると嬉しいですね。展示室をオープンしてからは新規のお客さんも増えてきました。
――木工とグラフィックデザインという、異なる分野だから、お互いに向上し合えるのかもしれませんね
潮:分野は違ってもオーダーメードで請け負うという姿勢は同じ。仕事への向き合い方が参考になるし、違う分野だと気軽に意見を言い合えます。私はもともと家具や建築が大好きなので、それに関われるのが楽しいです。責任は修次郎が持つってことで(笑)
修次郎:そう。制作してると頭が凝り固まってしまうときがある。そんなときに気を遣わずに柔軟に意見を言ってもらえるのはうれしいですね。
まちの家具職人、まちのデザイナーになりたい
――お二人の仕事は、異分野のデザインを掛け合わせて、暮らしをデザインしているように見えます
潮:そうかも…。この展示室には、お互いがいいなと思ったものを並べています。この雰囲気が心地良いと感じてもらえているのか、長居されていくお客さんが多いですね。
修次郎:和と洋、新しい物と古い物、色々なところの色々なものを好きなように取り入れて好きな暮らしを楽しんでもらいたいから、土澤木工の家具は、どこにあっても馴染むようなものを作っていきたいです。
――今後はどんな活動をしていきたいですか?
修次郎:家庭用のオーダー家具を作るという、やりたいと思っていたことを今はやれています。これを長く続けていきたいですね。
今は外国産の材料を使うことが多いですが、これからは国産や県産の材料をもっと使っていきたいです。木材は主に広葉樹を使っていますが、山形県内では建材となる杉などの針葉樹に比べると広葉樹の流通がとても少なく感じます。今後はその入手先の開拓にも力を入れていきたいですね。そして、地元に根ざした木工職人になっていきたいです。
潮:ペイジはスタッフを入れるのもいいかなと思っています。家庭に入った女性でもスキルがある人もいるし、いろんな働き方の受け皿になれる場所になれたら面白そう。私自身、大学時代から今に至るまで、力を伸ばす機会を多くの人たちに与えてもらったなぁと感じていて、一人の大人としてそういった機会を誰かのために用意できるようになれたらいいな。今、芸工大の非常勤講師として1年生向けの授業を担当させてもらっているんですが、やってみて、一緒に学びながら成長できるのも面白いなと思っています。
潮さんがこれまでに手がけた、山形での仕事の一部。(撮影:根岸功)
まちのデザイナーとして、地域に暮らし続ける人と一緒に頑張るぞっていう気持ちでこの先もやっていきたいです。ギャラリーもやりたいし、出版にも興味があるし、やりたいことがたくさんあります。
――最後に、後輩たちにメッセージをお願いします
修次郎:今思うと、学生時代に家具職人になることを目標に決めていれば、もっといろいろ勉強できたとも思います。だけど、自分は素直にやりたいことを色々やってみた結果、違った形で今に役立っていたり、最終的に自分に合った仕事にたどり着くことができました。学生のうちは興味のあることはどんどんやってみるといいと思います。
潮:私は専門分野を超えたいろんな仲間との交流も大切にしてほしいと思います。デザインだけでなく世間のことにアンテナを立てていると、いい提案につながります。学科の専門以外のことにも、ぜひ興味を持ってほしいですね。
山形には、芸工大で学んだことを生かせる就職先が少ない、そう考えて首都圏で就職活動をする学生は今も少なくありません。でも、そうした状況をお二人を始めとする卒業生たちが変え始めているのも事実。彼らの仕事は、このまちでの暮らしを豊かなものにしてくれてもいます。
とつとつと思いを語る修次郎さんと、笑顔の絶えない潮さん。とてもお似合いのご夫婦なのでした。二人の取材を終えて、何とも温かい気持ちになりました。
(撮影:三浦晴子 取材:地域連携推進課?遠藤、企画広報課?須貝)
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