會田陸人|須川水運の歴史地理的検討-須川河岸の構成要素の復元を事例として-
山形県出身
岡陽一郎ゼミ
これまでの山形県の水運史研究は、限られた対象を中心に進んできた。対象としては、最上川水運の商人荷物と御城米の流通に関するものが中心であり、資料としては文献資料が中心である。うち、土地利用の復元の研究については、大石田や左沢、清水などの一部の主要な河岸のみにとどまっている。山形の水運史を明らかするには、主要な河岸や物の流通のみならず、比較的小さな河岸にも目を向け、それらを全て含めて山形県全体の水運として検討していく必要がある。本研究は、最上川最大の支流である須川の船着き場に目を向け、新たな視点から山形県の水運史を分析するものである。
河岸の土地利用復元の事例には、大石田、清水、左沢がある。そこでは、最上川の河岸集落は最上川沿いか、そこから少し離れた位置、街道の近くに短冊形地割を形成している点が指摘されている。こうした短冊形地割は船屋敷や商店として利用されており、河岸集落単体だけでなく、交通の要所や、都市への物資の供給地点として、重要な役割を担っていた。加えて、『最上川水運の大石田河岸の集落と職人』では、最上川の河岸の特徴として、集落に1本の太い道路を貫通させ、その両側に屋敷地を配置するという手法は、最上川沿いの河岸集落の特徴であると述べている。そして、大石田、清水、左沢の各事例は、この指摘に当てはまる。これらの構成要素を須川の河岸集落にも求め、資料と地籍図を活用しながら、その土地利用と、構成要素の復元を進めていく。御城米のみを積んだ河岸であれば、畑地や耕作地が多い、農村の土地利用が読み取れ、商人荷物の運搬や売買を行ったのであれば、商店や舟屋など、常設の施設の痕跡である、短冊形地割が確認できると予想する。本論文では、須川の渡船場があったとされる、寺津(図1)、坂巻(図2)、悪戸(図3)の土地利用の復元と、構成要素の考察を行った。
1. 寺津の地籍図のトレース図
2. 坂巻の地籍図のトレース図
3. 悪戸の地籍図のトレース図