歴史遺産学科Department of Historic Heritage

[最優秀賞]
菊地恵|関札の大きさと家格の比例関係について
茨城県出身
佐藤祐輔ゼミ

 江戸期の宿場に設置された「関札(せきふだ)」とは、大名や公卿など貴人が休泊する際の標識として宿場の出入口や本陣の前に立てられた札のことである(図1)。関札には、右端に小さく日付、中央に筆太で官名、その下に「宿」、「泊」、「休」などの大名の宿場利用形態について記されている(図2)。
 これまでの研究において、関札の大きさがその大名の家格や身分に比例することが示されたが、関札の大きさと家格の具体的な比例関係について関札の実測値を使用しての分析は行われていない。本研究の目的は、過去の研究で指摘された仮説をもとに、関札の大きさと家格の比例関係についての分析を行い、その関係性を明らかにすることである。対象資料は、山形県上山市楢下宿の関札54枚に加えて、宿帳によって関札の年代が特定されている滋賀県大垣市墨俣宿の関札37枚と大阪府茨木市郡山宿の関札70枚を取り扱う。本研究では、関札の文字情報や形態、文献を用いて大名を特定し、関札の実測値を用いて家格分析を行った。
 これまでの関札に関する研究や交通史において関札の大きさが大名家の家格や身分に比例することが通説であったが、本研究を通じて、関札の大きさと家格が必ずしも比例関係にあるわけではないことが明らかになった。武士社会は主従関係に基づく上下の秩序によって結びつけられており、序列によって江戸城での控えの間が決められていたことに加え、参勤交代の際にも随行者数や諸道具類まで厳格に区別された。近世社会全体が身分階層的な性格を持ち、その中でも武士社会は特に階層性が際立っていたが、関札においては家格が高い大名であっても、その関札が家格に見合った大きさでない場合があり、逆に家格が低い大名であっても、他の大名に比べて大きめの関札が使用されることがあるという事例が確認された。これにより、関札の大きさが単純に家格に基づくものではなく、また関札のサイズに関しては明確な基準を持って作られるわけでないことが明らかになった。関札の大きさが不統一である理由として、関札には明確な規格が設けられていなかった可能性が高い。また、関札は本陣に掲げる目的があったため、大きさの統一よりも必要な情報が記載できることが優先され、大きさの不統一は特に問題視されなかったと考えられる。


佐藤祐輔 准教授 評
 「関札」と聞いて具体的な形や大きさをすぐに想起できる人はどのくらいいるだろうか?かかる私も(弥生時代が専門)今年度から前任から引き継ぐ形で菊地のゼミを受け持ち、研究テーマを聞いたときに「??」となった一人である。
 菊地は、3年次までに上山市楢下宿で活動を行い、「関札」を直に観察した経験が大きかった。その経験をもとに、すでに研究テーマや課題ははっきりしていたし、先行研究の読み解きもできていた。ゼミでの菊地の発表を聞く度に、自分の知らない分野の知識を吸収でき、楽しみでもあった。
 ただ、「関札」は考古学的に分析された事例が少ないために、どんな方法論で資料を調理するのか、数ある分析項目から何に絞って進めるのか、大いに悩んだであろう。
 最終的には、近世の専門家から積極的に指導をもらい、考古学?文献史学の両面から卒業論文を完成させた。当然、粗削りな部分はあるものの、卒業論文としての完成度は十分である。そして何よりも、1年間を通して菊地の発表や文章には、大きな「赤字」を入れた記憶がない。研究に対する真摯な姿勢を高く評価し、卒業論文では扱えなかった分析項目も付与し、学会誌への論文投稿を切に期待する。

1. 上山城の関札展示

2. 楢下宿の関札