歴史遺産学科Department of Historic Heritage

[優秀賞]
千田拓未|早池峰岳流神楽の伝播と継承-白土?外山?学間沢神楽を事例に-
岩手県出身
松田俊介ゼミ

目 次 研究目的/白土?外山?学間沢神楽の交流と衰退/岳流神楽の伝播と継承/今後の民俗芸能の継承について

 岩手県北上高地の主峰早池峰山麓の2つの集落に伝承されている岳神楽と大償神楽は、成立より500年以上の年月が経過している。この2つの神楽は廻村巡業により地域の人々と関わりを持ったことで、早池峰神楽が所在する花巻市大迫町を中心に県内各地に複数存在している。本研究では、この弟子神楽の一例として【図1】より、岳神楽から伝授を受けた白土神楽(現花巻市東和町田瀬)、白土神楽の弟子神楽にあたる外山神楽(遠野市小友町)、学間沢神楽(現奥州市江刺米里)を取り上げ、聞き取り調査と文献資料よりこの3団体の師弟関係から、早池峰岳流神楽の伝播の仕方、継承の現状を明らかにし、今後の民俗芸能の継承の在り方について述べる。
 聞き取り調査から、白土?外山?学間沢神楽の神楽衆は、盛んに交流を行っており、3地域は古くから婚姻関係が深いのが特徴的であった。交流ができたその要因として、千葉栄進というキーパーソン的な存在が挙げられる。栄進氏は3地域を行き来しており、精力的な活動をしていた。栄進氏が高齢なってから3団体での交流は途絶え、この影響で3団体は互いに孤立し、白土?学間沢神楽は衰退へと追い込まれた。従って、千葉栄進個人が3団体の交流と継承の核となっていたといえる。
 中嶋(2022)から岳神楽は修験者、または社人同士の関わりから伝播した事例と、岳神楽が廻村巡業の中で伝播した事例の2つに分類される。注目すべき点として、化成期に盛岡藩主?南部利敬が神道化政策を施行した際に、岳神楽の弟子神楽が増加したことが挙げられる。だが、南部利敬の死後、直弟子が明治になるまでなかったため、元来岳神楽は弟子を積極的に持たず、伝播するはずのない芸能であった。継承に関して【図2】のように師弟関係を軸にした直線上の関係性が、岳流神楽を現代まで継承させる要因となっていた。一方、本研究の白土?学間沢神楽の事例から、限定された地域のみの活動、地域外の人員の助力なしに芸能を維持するのは、現代において非常に困難であるのが明らかになった。
 【図3】より、従来は「縦の繋がり」「横の繋がり」で継承活動を行なっていたが、今後は、地域外の人も迎え入れる必要がある。すなわち幅広い意味での縦?横の繋がりが今後重要になっていく。そうした地域外の人々が継承を促進させる1人のキーパーソンになりうるのではないだろうか。


松田俊介 講師 評
千田拓未君は、ゼミに入る前には、自身が演じ続けてきた「早池峰岳流神楽」を卒論のテーマにすると決めていた。自分にとってなじみ深い民俗芸能が、どのような歴史的ルーツをもつのか。彼は問題意識をもって取り組んだが、調査の道程は困難なものだった。
流派の継承の断絶、担い手の高齢化?転居、活動の休止、法令による情報秘匿…。それでも彼は、地元の語りや、協力者の伝手を活かし、当時の3団体の継承過程?協力体制のあり方を再構成していった。
存続時の3団体がさかんに交流しあっており、互いに人的な融通をしていたこと、そうした交流は婚姻関係さえ伴っていたこと、一人のキーマンが団体同士の仲立ちとなっていたことなどは、彼の膨大なインタビューデータによる成果である。研究に粘り強く取り組んだ彼の姿勢を、民俗芸能を研究したいと考える学生への範とさせたい。

1. 白土?外山?学間沢神楽の伝播状況【図1】

2. 岳流神楽の継承と衰退の構造【図2】

3. 今後の民俗芸能の継承について【図3】