噴火埋没した建物による生活空間の復元
峯田太樹也
神奈川県出身
青野友哉ゼミ
目 次 研究の目的/分析/考察
建物が噴火による軽石や火山灰によって埋没することで、生活していた瞬間や痕跡がパックされ当時の生活を知る術の一つとなっている。群馬県榛名山噴火による被害を受けた遺跡の建物を対象とし、噴火直前や噴火後の住民の行動、生活を明らかにすることが可能になる。さらに、噴火埋没した建物を研究することで、噴火の影響を受けず火山灰も検出されない多くの地域における建物内の生活空間についての基礎的な知識を得ることができる。
黒井峯遺跡の建物から、平地式建物は一辺約5~7mの小さめの長方形、竪穴式住居は、一辺約20mの大きめの正方形で作ることが共通認識だったと考える。または、一家族の人数が少ないと平地式建物、多いと竪穴式住居で生活するという考えがあった可能性もある。
金井東裏遺跡の建物内から、大型のカマドや炉が発見されていること、カマドと炉を併用していることから、住民が多く、煮炊きの量が増えた、土器製作が活発に行われたなどが考えられる。
中筋遺跡では、住居の大きさを1辺約3~4mで統一し、居住区と商業区のように場所を分けていた可能性がある。平地式建物はカマドが出土しているものや、炭化した米?栗が出土していることから、平地式建物が作業小屋、鍛冶工場だけでなく、倉庫などの役割があったと考えられる。
黒井峯や金井東裏から平地式建物内で生活していた痕跡が発見されているため、中筋が所在する地域と、黒井峯と金井東裏が所在する地域とでは、住居に対する認識や使用方法が異なっていた可能性があるが、平地式建物の形は中筋や金井東裏は正方形、黒井峯は長方形をしている。建物の使用方法や形に対する捉え方が地域によって存在していたとすると、黒井峯と中筋は違う価値観があったと考えられ、金井東裏はこの二つの遺跡の価値観を取り入れていた遺跡か、原点だったと考えられる。このことから、近くの遺跡間を人が行き来している可能性や前に住んでいた住居や集落を参考にしてそれぞれの特徴を融合させて建てた、建物の大きさは遺跡ごとにある程度統一していたと考えられる。また、黒井峯遺跡のみで椀が出土していないことや、B-198号平地式建物のような炉やカマドを持たずに火を焚いていることから、他の遺跡の住民とは異なった文化を持っていたと推測される。