唐松観音と地域の眼差し-唐松観音再建時の動き、地域の歴史から-
渡辺茉由
山形県出身
田口洋美ゼミ
山形県山形市の東沢地区には、最上三十三観音の第5番に指定されている唐松観音がある。(図1)この唐松観音は、昭和51(1976)年に再建されており、再建費用は全て奉賛金が使われた。このように地域が一丸となり、地域の寺社仏閣を住民が建てたということは地域の人々が信仰していなければ、再建されなかったのではないかと感じる。地域の人々はどのような眼差しで唐松観音を見てきたのだろうか。地域の人々や、建設設計に関わった方に聞き書きを行なっていった。当時の人々の様子を受け、現代に生きる私たちはどのようなことを考えていかなければいけないのか、現状にも着目して研究していく。
唐松観音が、現在のような造りの建物になったのは、寛文1(1661)年とされている。その時、山形城主であった松平忠弘が、山形城東方を守護する霊地霊物として崇拝し京都清水観音堂を模範として懸崖造のお堂を建立した。(図2)
現在の唐松観音が再建された背景には、唐松観音堂釈迦堂奉賛会(のちに保存会)、唐松観音堂復元協賛会、唐松観音堂復元奉賛会を結成し奉賛金を集め完成した。
研究を通して、唐松観音に対する想いに触れることができた。地域の人にとって、唐松観音は日常の風景にあり、変わることなく地域を見守ってきた存在である。地域の人々の日常の風景は、今と同じように唐松観音がありこの風景を次の世代の日常にもあってほしいと考える。
今後の課題として、地域住民の高齢化や唐松観音の老朽化があげられる。そのような中でも、郷土愛は地域を知らないと生まれないという考えから、地域のコミュニティーセンターに集まり、郷土研究会会長を講師に招き、地域の人が聞くという会が開かれている。このような会を、様々世代に知ってもらい、気軽に参加できるものになれば良いと考える。次の世代にも継承していくためにも現状から目を逸らさずに地域を知ることが大切になってくると考える。